写真で見るスイスとその近辺
by kentaronakai
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>「スイス グリンデルワルトより日本への祈り」
改正版です。
私は弱い人間で、ここの数日間ブログをアップする気が起きませんでした。
ブログを使って、なにか、こちらの情報や取り上げようをUPするべきだったのではと
後悔しました。
不謹慎といわれるかもしれませんが、飲みにもいきました。
ただ、何かできる事。
人に言われてだけど、写真を通してお手伝いが少しはできました。
「スイス グリンデルワルトより日本への祈り」
3月13日の晩に奇跡は芽生えました。
大多数の人間がショックで止まった時に心を委ねていた時に、
グリンデルワルトの二人の娘さんが動きました。
日本からの報道を見ていくうちに私たちで何かできないかと、
13日の晩に電話をして話し合った二人、
アンドレア ヤェッキ(31)
ユリ カトー(32)
彼女らは、14日の朝10時にカフェで落ち合い、アイデアを出し合いました。
昨日の晩から考えていた二人は、何をするかの企画11時には作り上げました。
それ提案を日本語観光案内所に持っていきました。
11時半には村長さんに連絡を取り、
13時半には彼女ら二人を中心として会議が開かれました。
村役場のこの対応の早さには、感心をいたしました。
その日の昼前に電話で「KENTARO写真を撮ってくれないか?」
っといわれました。その日の晩に彼女たちがしたいことを
Barで話し合いました。
(その間にすでにある一定の人達、ホテルには村長さんからのメールで呼びかけられていました。)
なんでも、彼女らはこのことをメディアやネットを通して
多くのスイスの町が募金活動をするきっかけになればということでしたので、
即答いたしました。
その日は、ユングフラウヨッホでの仕事でしたが、
理解のある会社で、半日で仕事を切れ上げさせてもらえました。
私のできることなんか無いけど。唯一写真だけは撮れる。
その写真が必要とされるならばという事で手伝わせてもらいました。
こうして彼女たちが気軽に声を掛けてきてくれたのも、
普段から村の飲み屋の写真を撮りまくって暗黙の宣伝をしていたからでもあり、
今までやってきたことは全てが間違いではないと少し思いました。
写真すべては↓
http://www.facebook.com/album.php?aid=340399&id=702503124
↑フェイスブックに登録している方すべての方に公開しています。
フェイスブックをされていない方は、今後、私のホームページに
載せたいと思いますので、少しお待ちください。
下記の動画はすべての方に見ていただけます。
一市民が動きだすだけで、こんなに大きなことにもつながっていくという
ことなんですね。
↑スイスではボランティア活動や寄付の際、食事や飲み物を用意して
それを無料で食べたり飲んだりします。
その値段は寄付という形で支払う形が多々あります。
多くの日本人がすしを作って持ち寄りました。
赤い羽根募金のように、折鶴というアイデアも出てきて、
皆さんがんばって折っておられました。
飲み物のは村役場から支給されました。
今回の活動の重要な点は、
グリンデルワルトの村役場からでもなく、
日本人からでもなく、
スイス人の女性二人からの呼びかけで始まった事に感動してしまいました。
今回の募金活動はそこに大きな意味があるような気がしてなりません。
3月16日に「日本への祈り」は実施されました。
彼女らの運動は結果300人以上の人達を
たった一日で集めました。
人口4千人の村人たちのほとんどが仕事などでこれなかったですが、
T-シャツ屋さんが閉店してまでも来たり、
日本人スタッフの働いている店は、休ませてまでも時間を確保したり、
遠くは、イゼルトヴァルト、ミューレンといったところから
集まりました。
300人足らずでの集会ですが、村の規模4千人の人口からすると
相当な数だったのではないかと思います。
そこで集まったお金は100万円くらいになります。
(1万1000フラン)これは、個人からだけの寄付であり、
そのほか村全体であわせると現段階で2万フラン程度が集まっているようです。
↑こういった方々も、何かできることがあればということで
自分たちで申し出て集まってきました。
こういったことで、たくさんの人達が集まるので素敵なことだと思いました。
14日の晩に彼女らから言われた言葉が心に突き刺さってます。
「過去にこの村、グリンデルワルトに来てくれて楽しんでくれた方々のうち
の誰か、ここグリンデルワルトに来たいと夢見てくれていた方々の誰かが
大変なことになってると思うと、やりきれない。何か少しでも手助けをしたい。。。。。」
この言葉には頭があがりませんでした。
二人はもともとグリンデルワルトの住民ではなく、
独りは、12年位前にフィングシュッテック近くのキャンプ場を経営する家族の一員として
来ました。
独りは、ジュネーブで生まれ育ち、今年からグリンデルワルトにやってきました。
ただ、YuRIさんのお父さんはアイガー北壁直登ルートの開拓者、加藤タキオ氏の娘さんです。
彼女は、幼いときに毎週のようにグリンデルワルトへ父親と一緒に来ていたみたいです。
(この二人には、こういった情報の公開に許可を得ています)
彼女たち二人は言います。
「これが始まりなの」
「この提案はそれが終わったときからが始まりでもっともっと
できることをしていきたい。」
「例えば、日本が落ち着きを戻した後、災害にあった子供たちのうち一人でもいいから
グリンデルワルト村に招待して、大自然に癒されてもらえたらいいんだけど。。。。」
とも考えたりしてる。
二人ともこの村グリンデルワルトが大好きで、この村を通して
一人でも幸せになればと願っています。
この先も、彼女たちの活動のバックアップができれば幸いです。
私の写真だけでは、何もできなかった。
ただ、グリンデルワルト在住のプロビデオカメラマンYUZY氏が
この活動を広げるための映像を作成しました。
いろいろな助言をくれたグリンデル在住日本人の方々
の力を一まとめにし、映像と言うもっともわかりやすい形で
作成し世の中に広げる事ができる力をうらやましくも思い、
ありがたくも思いました。
ぜひ、日本語版もしくは英語版をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=u9yJL5ecsiQ&fmt=18
↑日本語版
http://www.youtube.com/watch?v=Rv0TPomiHnc
↑英語版
in English
最後の方に作成者とワタクシの名前と写真も出てきますが、
最後の最後まで入れるか、入れないかを迷ったらしいですが、
ワタクシ個人としては、彼の名前が入るのは当たり前の事ですし、
深く考えないほうがいいと思います。
私の名前も出していただきましたが、それを売名だの、なんだの、
そんな考えを起こす人がいるなら、その人はそういう人なのでしょう。
私個人の名前を書いていただいたおかげで、この先もこの運動へのバックアップ
への義務感のようなものも沸いてきましたし、これによって、
何かの活動へのボランティアへの参加もしやすくなりました。
集まったお金は、姉妹都市の松本市を通して
災害への援助として使ってもらえるように手配していただけるようです。
今後彼女たちは、写真を使って一人でも日本の手助けがしてくれたらと思っている
のですが、まだ、具体的には固まっていないみたいです。
写真の現像にあたり、「EIGERPHOTO AG(アイガーフォト株式会社)」
主にクライネシャイデック(ユングフラウヨッホに行くまでの乗換駅)で
活動されている方が、援助をしてくださるそうです。
↓クリックをしてもらえた回数でランキングが決まるというランキングサイトに参加してます。
クリックして応援をして下さい。有難うございます。助かります。
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ただ、今回の事で、グリンデルワルトと深いつながりがある日本人の中に、
連絡が多重になった方、連絡が来なかった方々、ぎりぎりになって知った方
が多々おられたみたいです。
こんなに小さな村なのに、日本人が団結できなかったように思えます。
みんながすばやくこの情報に目を通していれば、、、、、
この村に、日本人連絡網があれば、、、、、
そういった思いがしました。
そこで、YUZY氏と共に「グリンデルワルト日本人会」と
「グリンデルワルト日本人OB会」をフェイスブックに立ち上げました。
フェースブックをされてない方にも声を掛けていただいて、
緊急電話番号だけでも、そのサイトにUPできれば幸いです。
「グリンデルワルト日本人会」はグリンデルワルトに現在在住されてる方に
限ります。非公開となってますので、メンバー以外はコメントが見れなくなっています。
「グリンデルワルト日本人OB会」はグリンデルワルトで働かれたことが少なからず
ある方の会です。来年グリンデルワルトを卒業される方などは、
グリンデルワルト日本人会を出ていただき、OB会に入っていただければ幸いです。
同じく、非公開となってますので、コメントはメンバーのみになっています。
フェイスブックをされていない方は、緊急連絡先だけでも載せさせていただけると
助かります。
尚、グリンデルワルトからスイスの他の地域に引っ越された方々との
連絡を取れるように、現在グリンデルワルトに在住の方も
「グリンデルワルト日本人OB会」への参加をお願いいたします。
いずれは、出て行く人の多い村ですので。
「グリンデルワルト日本人会」を立ち上げるに際して、
ごく一部の方から反感を買うかもしれませんが、
立ち上げさせていただきます。
自由参加ですが、力を貸していただければ幸いです。
グリンデルワルトで災害があった際や、日本での災害のときの連絡網に使えれば幸いです。
毎年ある、グリンデルワルト日本人シーズンスタッフ歓迎会のご連絡等を
OB会と共に連絡をとれればいいのですが。。。。。
ご理解のほどよろしくお願いいたします。
私は弱い人間で、ここの数日間ブログをアップする気が起きませんでした。
ブログを使って、なにか、こちらの情報や取り上げようをUPするべきだったのではと
後悔しました。
不謹慎といわれるかもしれませんが、飲みにもいきました。
ただ、何かできる事。
人に言われてだけど、写真を通してお手伝いが少しはできました。
「スイス グリンデルワルトより日本への祈り」
3月13日の晩に奇跡は芽生えました。
大多数の人間がショックで止まった時に心を委ねていた時に、
グリンデルワルトの二人の娘さんが動きました。
日本からの報道を見ていくうちに私たちで何かできないかと、
13日の晩に電話をして話し合った二人、
アンドレア ヤェッキ(31)
ユリ カトー(32)
彼女らは、14日の朝10時にカフェで落ち合い、アイデアを出し合いました。
昨日の晩から考えていた二人は、何をするかの企画11時には作り上げました。
それ提案を日本語観光案内所に持っていきました。
11時半には村長さんに連絡を取り、
13時半には彼女ら二人を中心として会議が開かれました。
村役場のこの対応の早さには、感心をいたしました。
その日の昼前に電話で「KENTARO写真を撮ってくれないか?」
っといわれました。その日の晩に彼女たちがしたいことを
Barで話し合いました。
(その間にすでにある一定の人達、ホテルには村長さんからのメールで呼びかけられていました。)
なんでも、彼女らはこのことをメディアやネットを通して
多くのスイスの町が募金活動をするきっかけになればということでしたので、
即答いたしました。
その日は、ユングフラウヨッホでの仕事でしたが、
理解のある会社で、半日で仕事を切れ上げさせてもらえました。
私のできることなんか無いけど。唯一写真だけは撮れる。
その写真が必要とされるならばという事で手伝わせてもらいました。
こうして彼女たちが気軽に声を掛けてきてくれたのも、
普段から村の飲み屋の写真を撮りまくって暗黙の宣伝をしていたからでもあり、
今までやってきたことは全てが間違いではないと少し思いました。
写真すべては↓
http://www.facebook.com/album.php?aid=340399&id=702503124
↑フェイスブックに登録している方すべての方に公開しています。
フェイスブックをされていない方は、今後、私のホームページに
載せたいと思いますので、少しお待ちください。
下記の動画はすべての方に見ていただけます。
一市民が動きだすだけで、こんなに大きなことにもつながっていくという
ことなんですね。
↑スイスではボランティア活動や寄付の際、食事や飲み物を用意して
それを無料で食べたり飲んだりします。
その値段は寄付という形で支払う形が多々あります。
多くの日本人がすしを作って持ち寄りました。
赤い羽根募金のように、折鶴というアイデアも出てきて、
皆さんがんばって折っておられました。
飲み物のは村役場から支給されました。
今回の活動の重要な点は、
グリンデルワルトの村役場からでもなく、
日本人からでもなく、
スイス人の女性二人からの呼びかけで始まった事に感動してしまいました。
今回の募金活動はそこに大きな意味があるような気がしてなりません。
3月16日に「日本への祈り」は実施されました。
彼女らの運動は結果300人以上の人達を
たった一日で集めました。
人口4千人の村人たちのほとんどが仕事などでこれなかったですが、
T-シャツ屋さんが閉店してまでも来たり、
日本人スタッフの働いている店は、休ませてまでも時間を確保したり、
遠くは、イゼルトヴァルト、ミューレンといったところから
集まりました。
300人足らずでの集会ですが、村の規模4千人の人口からすると
相当な数だったのではないかと思います。
そこで集まったお金は100万円くらいになります。
(1万1000フラン)これは、個人からだけの寄付であり、
そのほか村全体であわせると現段階で2万フラン程度が集まっているようです。
↑こういった方々も、何かできることがあればということで
自分たちで申し出て集まってきました。
こういったことで、たくさんの人達が集まるので素敵なことだと思いました。
14日の晩に彼女らから言われた言葉が心に突き刺さってます。
「過去にこの村、グリンデルワルトに来てくれて楽しんでくれた方々のうち
の誰か、ここグリンデルワルトに来たいと夢見てくれていた方々の誰かが
大変なことになってると思うと、やりきれない。何か少しでも手助けをしたい。。。。。」
この言葉には頭があがりませんでした。
二人はもともとグリンデルワルトの住民ではなく、
独りは、12年位前にフィングシュッテック近くのキャンプ場を経営する家族の一員として
来ました。
独りは、ジュネーブで生まれ育ち、今年からグリンデルワルトにやってきました。
ただ、YuRIさんのお父さんはアイガー北壁直登ルートの開拓者、加藤タキオ氏の娘さんです。
彼女は、幼いときに毎週のようにグリンデルワルトへ父親と一緒に来ていたみたいです。
(この二人には、こういった情報の公開に許可を得ています)
彼女たち二人は言います。
「これが始まりなの」
「この提案はそれが終わったときからが始まりでもっともっと
できることをしていきたい。」
「例えば、日本が落ち着きを戻した後、災害にあった子供たちのうち一人でもいいから
グリンデルワルト村に招待して、大自然に癒されてもらえたらいいんだけど。。。。」
とも考えたりしてる。
二人ともこの村グリンデルワルトが大好きで、この村を通して
一人でも幸せになればと願っています。
この先も、彼女たちの活動のバックアップができれば幸いです。
私の写真だけでは、何もできなかった。
ただ、グリンデルワルト在住のプロビデオカメラマンYUZY氏が
この活動を広げるための映像を作成しました。
いろいろな助言をくれたグリンデル在住日本人の方々
の力を一まとめにし、映像と言うもっともわかりやすい形で
作成し世の中に広げる事ができる力をうらやましくも思い、
ありがたくも思いました。
ぜひ、日本語版もしくは英語版をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=u9yJL5ecsiQ&fmt=18
↑日本語版
http://www.youtube.com/watch?v=Rv0TPomiHnc
↑英語版
in English
最後の方に作成者とワタクシの名前と写真も出てきますが、
最後の最後まで入れるか、入れないかを迷ったらしいですが、
ワタクシ個人としては、彼の名前が入るのは当たり前の事ですし、
深く考えないほうがいいと思います。
私の名前も出していただきましたが、それを売名だの、なんだの、
そんな考えを起こす人がいるなら、その人はそういう人なのでしょう。
私個人の名前を書いていただいたおかげで、この先もこの運動へのバックアップ
への義務感のようなものも沸いてきましたし、これによって、
何かの活動へのボランティアへの参加もしやすくなりました。
集まったお金は、姉妹都市の松本市を通して
災害への援助として使ってもらえるように手配していただけるようです。
今後彼女たちは、写真を使って一人でも日本の手助けがしてくれたらと思っている
のですが、まだ、具体的には固まっていないみたいです。
写真の現像にあたり、「EIGERPHOTO AG(アイガーフォト株式会社)」
主にクライネシャイデック(ユングフラウヨッホに行くまでの乗換駅)で
活動されている方が、援助をしてくださるそうです。
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ただ、今回の事で、グリンデルワルトと深いつながりがある日本人の中に、
連絡が多重になった方、連絡が来なかった方々、ぎりぎりになって知った方
が多々おられたみたいです。
こんなに小さな村なのに、日本人が団結できなかったように思えます。
みんながすばやくこの情報に目を通していれば、、、、、
この村に、日本人連絡網があれば、、、、、
そういった思いがしました。
そこで、YUZY氏と共に「グリンデルワルト日本人会」と
「グリンデルワルト日本人OB会」をフェイスブックに立ち上げました。
フェースブックをされてない方にも声を掛けていただいて、
緊急電話番号だけでも、そのサイトにUPできれば幸いです。
「グリンデルワルト日本人会」はグリンデルワルトに現在在住されてる方に
限ります。非公開となってますので、メンバー以外はコメントが見れなくなっています。
「グリンデルワルト日本人OB会」はグリンデルワルトで働かれたことが少なからず
ある方の会です。来年グリンデルワルトを卒業される方などは、
グリンデルワルト日本人会を出ていただき、OB会に入っていただければ幸いです。
同じく、非公開となってますので、コメントはメンバーのみになっています。
フェイスブックをされていない方は、緊急連絡先だけでも載せさせていただけると
助かります。
尚、グリンデルワルトからスイスの他の地域に引っ越された方々との
連絡を取れるように、現在グリンデルワルトに在住の方も
「グリンデルワルト日本人OB会」への参加をお願いいたします。
いずれは、出て行く人の多い村ですので。
「グリンデルワルト日本人会」を立ち上げるに際して、
ごく一部の方から反感を買うかもしれませんが、
立ち上げさせていただきます。
自由参加ですが、力を貸していただければ幸いです。
グリンデルワルトで災害があった際や、日本での災害のときの連絡網に使えれば幸いです。
毎年ある、グリンデルワルト日本人シーズンスタッフ歓迎会のご連絡等を
OB会と共に連絡をとれればいいのですが。。。。。
ご理解のほどよろしくお願いいたします。
by kentaronakai
| 2011-03-20 07:36
| グリンデルワルト (スイス)